090-2111-6694
〒870-0872 大分県大分市高崎
営業時間 10:00〜12:00/14:00〜16:00【完全予約制】定休日 日曜・不定休あり
お盆&終戦記念日間近なので、、プライベートな内容です
こんばんは。Dr.千明です。
お盆ですね。ご実家などで久しぶりに家族と顔を合わせたりしている方も多いのでしょうか。
私は実家が沖縄なので、来月の旧盆に合わせて帰省する予定にしてます。
最近、物事をあまり深刻に考えられないキャラになってきている私ですが、(爆)
この時期は戦争に関するテレビを観たり、本を読んだりして、やり切れない思いに浸ったり、涙と鼻水でティッシュを大量に消費するのが恒例となっています。
今年は、このNHKの番組を録画して観ました⤵︎
目撃!にっぽん 「ただぬくもりが欲しかった~戦争孤児たちの戦後史~」 [総合]8月13日(日) 午前6:15~6:50 太平洋戦争で親を失った戦争孤児は12万人。路上で暮らす孤児の姿は各地で目撃されたが、詳しいことはよくわかっていない。彼らは戦後をどう生きたのか、当事者が証言。 過去を知られたくない、つらい記憶を思い出したくないと、路上生活を送った戦争孤児たちは、その経験をほとんど語ってこなかった。 そんな中、孤児たちの戦後を記録しようと、全国規模の調査が始まっている。高齢となった孤児たちは、辛い記憶をようやく語り始めた。 餓死する仲間たち、生きるために働いた盗み、周囲の冷たい目、そして差別…見えてきたのは、戦争の犠牲者なのに社会からさげすまれた孤児たちの姿だった。
目撃!にっぽん 「ただぬくもりが欲しかった~戦争孤児たちの戦後史~」 [総合]8月13日(日) 午前6:15~6:50
太平洋戦争で親を失った戦争孤児は12万人。路上で暮らす孤児の姿は各地で目撃されたが、詳しいことはよくわかっていない。彼らは戦後をどう生きたのか、当事者が証言。
過去を知られたくない、つらい記憶を思い出したくないと、路上生活を送った戦争孤児たちは、その経験をほとんど語ってこなかった。 そんな中、孤児たちの戦後を記録しようと、全国規模の調査が始まっている。高齢となった孤児たちは、辛い記憶をようやく語り始めた。 餓死する仲間たち、生きるために働いた盗み、周囲の冷たい目、そして差別…見えてきたのは、戦争の犠牲者なのに社会からさげすまれた孤児たちの姿だった。
これを観ながら、戦災孤児たちはどんなにか辛かったろう? と…
それはもう、想像を絶する、筆舌に尽くしがたい辛さですよね、きっと。
沖縄出身の私の両親は、戦争のとき子供でしたが、運良く孤児にはならずに済んでいます。
父方の祖父は、父が3歳のときに海兵隊に召集されて、どこかの外国の海で還らぬ人となりましたが。その後祖母が頑張って長男の父を含めて4人の子供を育てあげました。
両親とその親がなんとか大変な時代を生き抜いてくれたお陰で、私はなーんの苦労もなく、学校や習い事にも沢山行かせてもらって、、
医者にしてもらって、
お嫁に出してもらって、、
それなのにこれまで何度も恨み言を言ったりして、
ほんとにもうっ、、取材で出てこられていた孤児の方々に謝れ💢って自分に言いたくなりましたょ。
反省しきりです。。m(._.)m
戦争孤児と言えば、『火垂るの墓』ですね。
悲しすぎるストーリーですが、夫のほうが先に観ていて、私も後からレンタルビデオで観ました。
ドロップが尽きて、いくら缶を振っても出てこないシーンなんて泣けます(涙)
なのに最後まで肌身離さず持ち歩く2人…
極限状態では、人の本性が出ますよね。私は、そういうときに自分の食べものを他人にちょっとも分けてあげられないんだろうなって思います。。シュン(..)
実は、過去生(多分一つ前の前世)の記憶がいっこだけありまして、
今の主人と一緒で、主人と死に別れる前後の記憶…
その時は恐らく、兄妹か友だちのような関係だったと思いますが、、
(いろいろ視えるお方に、私と主人は夫婦っていうより兄弟みたいなエネルギーって言われたし)
極限状態で、最後に少しだけ残った食糧があって、ふたりとも空腹はMAXのはず、、主人にどうする?と聞いたらおなかが空いている筈なのに、食べないという。私のためなのか、意地になっているのか、生きる気力がないのか、、?
なら食べちゃうよってことで、私はそんなに躊躇することもなく食べちゃった。そんなことを繰り返しているうちに主人は死んじゃった。そして私は大切な人を失ってまでひとり欲を出して生き残っちゃって悲しかった、という記憶。。
私は、19で今の主人(ツインフレーム)と出逢った瞬間、理由ははっきり分からなかったけれど、その残念でもどかしかった記憶の余韻だけ感じとっていたのでしたー
そして、それから随分経って、結婚した後だったかな、上のような記憶の断片を、夢うつつのような感じで思い出すことに。
私が悲しかったのは、私と一緒に苦労する人生より、死のほうを選んだ(ように見えた)主人の態度。
それは今世でも時々見え隠れしていて、私を残念な気持ちにさせるーー
これは、彼の魂の課題(プログラム)なのかもしれないな と思う。
そして、私の課題は、極限状態で自分よりも他人のために尽くせるか ということかしら?
全然纏まりのない記事になってしまいましたが、
そんな事を考えました。
23/11/30
23/08/16
TOP
こんばんは。Dr.千明です。
お盆ですね。ご実家などで久しぶりに家族と顔を合わせたりしている方も多いのでしょうか。
私は実家が沖縄なので、来月の旧盆に合わせて帰省する予定にしてます。
最近、物事をあまり深刻に考えられないキャラになってきている私ですが、(爆)
この時期は戦争に関するテレビを観たり、本を読んだりして、やり切れない思いに浸ったり、涙と鼻水でティッシュを大量に消費するのが恒例となっています。
今年は、このNHKの番組を録画して観ました⤵︎
これを観ながら、戦災孤児たちはどんなにか辛かったろう? と…
それはもう、想像を絶する、筆舌に尽くしがたい辛さですよね、きっと。
沖縄出身の私の両親は、戦争のとき子供でしたが、運良く孤児にはならずに済んでいます。
父方の祖父は、父が3歳のときに海兵隊に召集されて、どこかの外国の海で還らぬ人となりましたが。その後祖母が頑張って長男の父を含めて4人の子供を育てあげました。
両親とその親がなんとか大変な時代を生き抜いてくれたお陰で、私はなーんの苦労もなく、学校や習い事にも沢山行かせてもらって、、
医者にしてもらって、
お嫁に出してもらって、、
それなのにこれまで何度も恨み言を言ったりして、
ほんとにもうっ、、取材で出てこられていた孤児の方々に謝れ💢って自分に言いたくなりましたょ。
反省しきりです。。m(._.)m
戦争孤児と言えば、『火垂るの墓』ですね。
悲しすぎるストーリーですが、夫のほうが先に観ていて、私も後からレンタルビデオで観ました。
ドロップが尽きて、いくら缶を振っても出てこないシーンなんて泣けます(涙)
なのに最後まで肌身離さず持ち歩く2人…
極限状態では、人の本性が出ますよね。私は、そういうときに自分の食べものを他人にちょっとも分けてあげられないんだろうなって思います。。シュン(..)
実は、過去生(多分一つ前の前世)の記憶がいっこだけありまして、
今の主人と一緒で、主人と死に別れる前後の記憶…
その時は恐らく、兄妹か友だちのような関係だったと思いますが、、
(いろいろ視えるお方に、私と主人は夫婦っていうより兄弟みたいなエネルギーって言われたし)
極限状態で、最後に少しだけ残った食糧があって、ふたりとも空腹はMAXのはず、、主人にどうする?と聞いたらおなかが空いている筈なのに、食べないという。私のためなのか、意地になっているのか、生きる気力がないのか、、?
なら食べちゃうよってことで、私はそんなに躊躇することもなく食べちゃった。そんなことを繰り返しているうちに主人は死んじゃった。そして私は大切な人を失ってまでひとり欲を出して生き残っちゃって悲しかった、という記憶。。
私は、19で今の主人(ツインフレーム)と出逢った瞬間、理由ははっきり分からなかったけれど、その残念でもどかしかった記憶の余韻だけ感じとっていたのでしたー
そして、それから随分経って、結婚した後だったかな、上のような記憶の断片を、夢うつつのような感じで思い出すことに。
私が悲しかったのは、私と一緒に苦労する人生より、死のほうを選んだ(ように見えた)主人の態度。
それは今世でも時々見え隠れしていて、私を残念な気持ちにさせるーー
これは、彼の魂の課題(プログラム)なのかもしれないな と思う。
そして、私の課題は、極限状態で自分よりも他人のために尽くせるか ということかしら?
全然纏まりのない記事になってしまいましたが、
そんな事を考えました。